2018年9月14日金曜日

羞明




明るい日差しの中で鮮やかに対象を浮かび上がらせる力。
それは思いがけず、実態を必要以上に明確化し人を驚かせる。


そのことから、見慣れたものは、安心できる光の配分の中で、
余分なものが削ぎ落とされているということが分かる。


すべてを見ることが、必ず気にいるとは限らなくて、
むしろ、一部分を見ないことが、愛情と愛着を芽生えさせているのかもしれない。

ファインダーが一定の位置に固定されるこは、
審美眼に適したものを見るのであり、それが盲目的であるにしても、
一つのフィールドとして、その盲目的視野が生命環境になっていると言えなくもない。











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唯一無二である、あなたへのメッセージ。


土ひとりで、ひとつの島全部である人はいない。

だれもが、大陸のひとかけ、全体の部分をなす。

土くれひとつでも海に流されたら、世界は、それだけで小さくなる。

岬が流されたり、自分や友達の土地がながされたと同じように、

わたしも人類の一部であれば、だれが死んでも、わが身が、そがれたのと同じ。

だから、弔いの鐘は、だれのために鳴っているのかと、たずねに行かせることはない。

鐘は、あなたのために鳴っているのだ。


喜びと、哀しみの鐘も、ぜんぶ、あなたのために鳴っているのだ。



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